あの日、その時。2011-3.11

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時雨です。@shig645_toushi

今回の災害に関して2011年に発生した、東日本大震災のことを思い出しながら、当時の私の行動を思い返してみます。

その時に何をしていたか?

ちょうど失業中で、俺は職業訓練校にいた。

職業訓練校に関してはこちら。

俺はこの記事の中の、『公共職業訓練』の方。

資格の学校TACという、失業者ではない人でも行ける所に通学していた。
職業訓練校時代のことなどはいずれ書くことにしよう。

俺はその年の前年10月からの6ヶ月コースで、3月はもうすぐ卒業を控えた時だった。

“あの日”も通常通り、授業を受けていた。

“異変”を身体で感じた

午前中に何故か、激しい頭痛に襲われた。

いつもの片頭痛とは違った、もっと痛い頭痛。

それでも当時は片頭痛治療薬を持っていなかったので、
頑張って午後の授業を受けることにした。

今思えば、その時に帰宅していれば【あんなことにはならなかったのにな】とは思う。

そして、‪“その時”が来た。

何だか大きな揺れが教室を襲った。
ただ、東京からしたら強めの地震だったな。

そのくらいに感じてた。

親も当時言っていたが、

「今、揺れた?」

俺のいる東京では本当に驚くほどの地震ではなかった。

しばらく教室で待機した後に今日は授業打ち切り、ということになった。

その時代の俺は、
・ガラケー
・モバイルルータ
・iPod touch

これらを持っていた。
Twitterはその時代にはあったけれど、
中々活用出来なかったな。

モバイルバッテリーは持って来ていなかった。
コレは痛かった。

あのLINEですら、まだなかった時代だったし。

もっぱら連絡手段は、ガラケーのキャリアメール。
格安SIMも今のようにPCメールはあっても、ガラケーは受付不可にしてる人が多かった時代。

今のようにデータ回線で通話出来たら、全然状況が違っただろう。

ネットで調べたら、どうやら電車が止まっているらしい。

駅まで行ってみたら、本当に止まっていた。
全線不通。

駅まで続く道には、人がごった返してた。
不謹慎に思ったから、当時は“その時”を写真に撮らなかった。

電車は使えない。
家族には連絡が中々に取れない。

モバイル回線がパンクしていて、かなり不安定だった。

「とりあえず、行けるところまで歩いて行く」

そう家族にメールして、歩き始めた。

今だから言えること。

無理して、その日に帰る必要は、ない。
ホテルが空いているなら泊まればいい。

無理に帰ろうとするから、大混乱に巻き込まれる。

ただ俺は失業中の身。
そして今のようにクレジットカードを使いこなせていなかったので、
自分で言ってしまえば【無知の塊】だった。

帰宅を決めてからの行動

ひたすら歩いた。

休憩もなしに。

その時は変形性股関節症があまり酷くない時期だったので、歩けはした。

ただ、電車で30分の距離をひたすら歩くのは、正直キツかった。
飲み物は途中で買ったりもしたが、それでも疲労は取れず。。。

ついには家までまだまだある途中の駅で力尽きた。

どのくらい歩いただろう。
時間で言えば、2時間くらいだった気がする。

何とか家族とキャリアメールで連絡が取れた時に、

「○○駅にいるから、そこまで車で来てくれ」

そう、頼んだ。

そうして俺は、駅の床に、崩れるように座り込んだ。

待っている間にしていたこと

ひたすらTwitterやらニュースやらで情報を集めていた。

どうやら東北の方が震源らしい。

Twitterでは気仙沼が、爆撃を受けたような画像が出回っていた。

この地震は、とんでもないことになっているんだな。
Twitter越しに、そう感じた。

因みに、その時に使っていたTwitterアカウントは消してしまったので、
その時に俺がどう思ったり感じていたかを確認することはできない。


周りを見てみた。


歩いている時もそうだったが、誰もが絶望感に浸っていた。

『早く家族が迎えに来て欲しい』

俺を含め、その一心だったことだろう。

何もしないでいる。
音楽を聴いてリラックスする。

そんな余裕なんて、一切なかった。

俺は、その時に付き合っていた女がいた。
それともキャリアメールや電話をしたが、不通。

俺の恋愛遍歴は後日・・・。

どのくらい待っただろう。

3時間だったか4時間だったか。

家族が俺のいる駅に到着。

その駅は家から車で30分もあれば余裕で着ける位置にある。

話を聞いたら、

『どこも道が混んでて、動けない時もあった』

そう言われると、こちらも何も言えなかった。

その時に俺が思ったこと。

‪“彼女は仕事をしている。電車に乗っていなかったか??”

不安になって、彼女が普段通勤で使っていた駅に行った。

そこでは、動けなくなった電車の車両に、

動けなくなった乗客が乗っているという。

普段ではあり得ない光景を目の当たりにした。

結局、彼女の居処は分からずじまい。

仕方なく、家路へ。

“この時”に思ったこと。

誰も助けてはくれそうになかった。

皆が全く余裕がなく、自分のことで精一杯な顔をしていた。

俺は道ゆく人に話しかけることも、

また話しかけられたことも、

一度たりともなかった。

ようやく話したのは、自分の家族が迎えに来た時。

家族が来た時には、

‪“ようやく帰れる”

そう、安心できた。

夜にはそれなりにキャリアメールでも連絡が取れるようにはなったいた。

ただ彼女から連絡が来たのは、翌日になってからだった。

“それから”の生活

幸いにも俺のいる東京では線路に影響がなかったので、
震災後は電車の本数を減らして運行していた。

ただ、《ガソリンを運ぶ車が来ない》との噂を聞き、
当時は50ccの原付に乗って駅まで通学していたところを、
自転車に替えて通学していた。

実家は急な坂が何箇所もあるところなので、原付の時は楽でも自転車だとキツかった。

結局のところ、ガソリン不足にはならずに済んだ。

食料も種類を除けば、手に入る食材で乗り切れた。

職業訓練校を卒業する頃には、すっかり俺のいる東京ではいつもの光景に戻っていた。

最後に

如何でしたか?
生々しく、リアルに起こったことを書き起こしました。

俺のいる東京では地震による実害はなかったものの、
【未知の恐怖】で常に不安な日々を過ごしていました。

‪“あの時”に帰っていたら、こんな大変な目には遭っていなかったでしょう。

ただ、俺は痛い目に遭わないと身に染みて分からないタイプなので、
現在同様の災害が発生しても冷静に対処できることと思います。

その時には精神疾患はなかったことも救いでした。

現在はその点がネックですし、
子供もいて自閉症なので家族のことを考慮すると慎重になるでしょう。

大事なのは、
・冷静でいるように心がける
・家族との連絡手段はいくつかの方法で取れるようにする
・自分や家族の身を最優先で守る!

このようなところでしょうか。

明日に、今回の台風19号での災害に関して私も思うところがあったので、語ります。